よりよく生きるとは? 劇団怪獣無法地帯 『拝啓父さん、夢の国は今日も星降り、見上げるように僕らは歩いた』

作・演出 新井田琴江さん。

赤の他人が家族を演じる物語。

 

上演前に前説の映像が流れる。飛沫を飛ばさないための新型コロナウイルス対策と思えた。スマホは電源からお切りください、飲み物はフタつきならOKとか。それがtake5まである。それなりに笑えるが正直take5もいらないだろうと思った。だから2回目の観劇時はストーリー理解のためのエネルギーを温存しようとギリギリで劇場に入るつもりだった(新井田作品は理解するのが難しい)。前説を観るつもりは無かったのだ。けれど席についてみるとtake2が始まるところ。観念して目を閉じて省エネで開演を待つことにした。しかし耳から入る情報がやたらと引っかかるので結局目を開ける。映像では作中の登場人物たちが「劇団怪獣無法地帯」に扮しているのが分かる。代表の棚田さんが劇団名を知らなかったり、赤澤さんが全くの素人扱いであったりしたからだ。けれど違和感がある。それもモーレツに。考えてみれば今作の流れからすると、最初から伊藤さんと佐藤剛さんの仲が良いのはおかしい。作中前半おどおどしていた、のしろさんが堂々としているのも変だ。そこで前日耳にしたセリフが脳裏をかすめる。

「みんなで劇団をつくったらいいんじゃない?」

終盤そんなこと言ってたな、しかしその時棚田さんが演じる主人公は失踪していたはず・・・・・・。

ハッとした。「これは後日談だ!」そう考えると納得できた、というか泣けた、マスクの下がグチャグチャになった。棚田さんのボヤキから始まるグダグダの前説が幸せな家族の風景に変わってしまったのだから。やられたなー、1回観ただけじゃわかんないよー、2回目も前説を観ることができてボクは幸運だったな。ということでこれほど再観をおススメしたかった演劇はない。

それにしても新井田作品には驚かされることが多い。何せ去年の『ねお里見八犬伝』のパンフレットには次回公演の予告があるが、タイトルは『父地獄、夢の国』であった。それがコロナ禍の先の見えない「今」大切にしようとしたら何とも言えないハートフルなタイトルに変わるのだから。思えば去年の3月、多くの公演が延期や中止になる中『散ル咲ク~わらう花』を劇団怪獣無法地帯は上演した。あの時は劇団、劇場はもちろん大変だったであろうが観るほうも大変だった。もし自分が感染してしまったら多方面に迷惑がかかる。客席もピリピリしていた。観客も演劇を守ろうと必死だった。

文化・芸術は生きるために必要だ。よりよく生きるために必要だ。

コロナ禍の中、そのようなことが幾度となく聞こえてきた。最初はそうだねそうだねと思っていたが、あんまり繰り返されると本当にそう?と思ってしまった。一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである。善く生きることと美しく生きることと正しく生きることは同じ、と言ったのはソクラテスだったか。プロディコスは俗な幸福を悪徳と言った。

舞台がダメとかじゃない、むしろ生きがいだよ、どんな事をしてでも、喜ばせたい

今作のセリフはコロナ禍の中、他者を喜ばせる手段を、より善く生きる手段を奪わないでと演劇人の叫びのように思えた。林達夫氏が言うようにソクラテス、プラトンが悲喜劇の教化的役割の後継者であるなら、悲劇だろうと喜劇だろうと、よりよく生きたい、そう思える作品をボクは観たい、そんな願いがボクにはあるのです。

 

2021年9月16日(木)19:30、9月17日(金)19:30

演劇専用小劇場BLOCHにて観劇

text by S・T

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